宮本 百合子

 文学の歴史をみわたすと、本当に新しい意味で婦人が文学の活動に誘い出されて来たのは、いつも、人民の権利がいくらか多くなって、すべての人が自分の考えや感じを表現してよいのだ、という確信を得た時代であった。
 明治はじめの自由民権が叫ばれて、婦人がどしどし男子と等しい教育をうけ、政治演説もし、男女平等をあたり前のことと考えた頃、日本では、木村曙「婦女の鑑」、若松賤子「忘れ形見」などの作品が現れた。若い婦人としてよりよい社会を希望するこころもちとぐるりの生活とのいきさつとを描いた作品である。それ以来樋口一葉をはじめ、明治大正を通じて今日までには幾人か、相当の文学的業績をもつ婦人作家がある。が、日本の民主的な文学の流れは、昭和のはじめ世界の民主主義の前進につれて歴史的に高まり、プロレタリア文学の誕生を見た。その当時、その流れの中からこそ、これまでとちがった勤労婦人の中からの婦人作家が出て来た。佐多稲子、松田解子、平林たい子、藤島まき、壺井栄などがそうである。これらの婦人作家は、みな少女時代から辛苦の多い勤労の生活をして来て、やがて妻となり母となり、本当に女として生きてゆく希望、よろこび、その涙と忍耐とを文学作品に表現しようとして来た人々なのである。
 戦争の永い間、私たちは声を奪われ、文字を奪われた生活を耐えて来た。その黙らされていた日々を、私たちの精神は、何も感じずに生きて来たというのだろうか。

 最近の数ヵ月間に、作家による戦争のルポルタージュが前面におし出されて来ている。一九三七年の日本文学について語るとき、この特徴的な現象は見落せない。そして、この現象は、本年のはじめ頃から日本の文学者の一部の間に特殊な傾向をもって強調されていた作家の社会性の拡大への要求、大人の文学への要求、国民の文学と称せられるものへの要求と根をつらねた文学的性格を具えている点においても、文学上相当の意味をふくんで立ちあらわれている事実である。上海その他へ出かけて、目下戦線ルポルタージュ専門の如き観を呈している林房雄氏が上述の提唱の首脳であったことは説明を要しない。文芸懇話会賞というものをその作「兄いもうと」に対しておくられた室生犀星氏は、自身の如く文学の砦にこもることを得たものはいいが、まだ他人の厄介になって文学修業なんか念願しているような青年共は、この際文学なんかすてて戦線にゆけ、と、自身の永く苦しかったその時代をさながら忘却失念したような壮々しい言をはいていられる。

 どんな時代でも文化について政策が考えられるとき、それが建設的でなければならないということは誰しも云っていると思う。政策という言葉に建設性がこもっているという風な解釈さえあると思う。けれども、実際にあたると、文化は複雑な有機体であって、建設的である過程も甚だいりくんでいる。
 この間こんな話をきいた。明日の日本の文化と精神の建設について研究してそのための役についている人から、日本人にはもっとシェークスピアを理解させなければいけない。そう云っても「ハムレット」だの「オセロ」だの「リア王」だのを一つ一つ読んだりして理解することは一般民衆には出来ないのだから、一つあらゆるシェークスピアの作品を一つにぶちこんでとかして、その中から一つのストーリイをまとめて映画にでもすれば、日本の民衆はシェークスピアを理解することが出来るだろう。いくらか誤りがあるかもしれないが大略はそういう意味の意見をきいたそうだ。こういう意見も文化に対する政策というものが、その一つの構成要素として現在の幅のなかにふくんでいるものであろう。
 日本の民衆にシェークスピアを理解させたいという希望が、そういう方法で思いつかれることは誰しも無限の感想を唆られると思う。